STORY

カフェの起源とは?パリの元祖「カフェ・プロコップ」

 
コーヒーがヨーロッパに伝来した17世紀、イギリスでコーヒーハウスが流行し、欧州で最初のコーヒーのブームが巻き起こりました。
イギリスでは、のちに紅茶文化が発達し、現代ではあまりコーヒー文化が盛んな印象はありません。

一方、現在でもカフェ文化のイメージが強いのは、フランス・パリ。
パリにコーヒーが伝わり、カフェがオープンした歴史を見てみたいと思います。

コーヒーの呼び売り「ル・カンディオ」とアルメニア人たち

パリの街で初めてコーヒーを飲ませる店を開いたのは、パスカルというアルメニア人だとされています。17世紀の後半、1672年のことです。
パスカルの店はサン=ジェルマンの定期市で営業した仮設の小屋で、オリエント風の喫煙具も提供し、珍しい異国趣味で評判となりました。パスカルはこの成功に乗ってセーヌ右岸、現在のケ・デュ・ルーヴルに店を開き、続いて同じくアルメニア人マリバン、ペルシャ人グレゴワールなどが同じようなオリエント風の店を出しますが、これらはあまり成功しなかったといわれます。

同じ頃、「ル・カンディオ」といわれるアルメニア風の服装をしたコーヒーの売り子が、街中でコーヒーをポットに入れて売り歩く光景も見られました。すでに宮廷やサロンで飲まれ始めていたコーヒーは、パリの街中でも次第に親しまれるようになります。

ついに登場したカフェの元祖「カフェ・プロコップ」

こうした中で、いよいよ登場したのが、数多あるパリのカフェの原型「カフェ・プロコップ」です。
カフェ・プロコップがオープンしたのが1686年のことです。
 
現在、当時と同じ場所で営業するカフェ・プロコップ(現在はカフェでなくレストラン。記事トップの写真も同じ)
 
プロコップはそれまでのオリエント風な店とはまったく異なる、大理石のテーブルにシャンデリア、大きな鏡などの豪華なヴェルサイユ風の内装で、大きな評判となりました。上流階級向けのようなこうした豪華な内装は、上流に憧れる中流階級や富裕層の人々を惹きつけたといいます。客層としては、貴族から俳優まで、さまざまな人々がこの店を訪れました。

この店を創業したのは、フランチェスコ・プロコピオ・ディ・コルテッリという、イタリア系の人物です。出身地はシチリア、フィレンツェなどの説がありますが、先ほど触れたパスカルの店のカンディオとしてキャリアをスタートしたといわれています。

立地はパスカルの店とは対岸になるセーヌ左岸、フォッセ・サン=ジェルマン(現ランシェンヌ・コメディ)通りです。なんと、現在もこの場所に同じ名を冠したレストランが営業しています。この付近はすで当時の繁華街であった上に、1689年にはコメディ・フランセーズ(劇場)が向かいに移転してきて、劇場関係者や観劇の客で大いに賑わいました。有名な人物では、フォントネル、クレビヨンなどの劇作家、ルナールを始めとする俳優たちがひいきにしていたといいます。

啓蒙の時代を象徴するカフェとなる

プロコップが成功した大きな要因は、劇場関係の客だけではなく、ロンドンのコーヒーハウスのように、人々に知的交流の場を提供したことにあるといわれています。それまで人々の交流の場は、閉鎖的なサロンか、キャバレやタヴェルヌのような酒を出す店が主だったのですが、プロコップは「理性の世紀」にふさわしい新しい交流空間となりました。
新聞やパンフレットを暖炉の煙突に張って,客に情報も社会情報も提供していました。
 
ヴォルテールら、百科全書派の会合

「理性の世紀」18世紀になるとプロコップは、ヴォルテールをはじめとする啓蒙知識人を集め、この世紀最大の文化事業といわれる「百科全書」の成立の大きな役割を演じることで知られます。ジャン=バティスト・ルソーらの詩人、作家が集まり、さらにヴォルテールを中心にディドロ、ダランベール、ビュフォン、ジャン=ジャック・ルソーなどの百科全書派が集まったのです。

後のフランス革命時にはダントン、マラー、ロベスピエール、デムーランなどのジャコバン派が足しげく通っていました。ちなみに、19世紀の顧客のリストには、ジョルジュ・サンド、バルザック、アナトール・フランス、ユイスマンス、ヴェルレーヌらの名前があげられていますが、18世紀の勢いはとり戻せなかったようです。

最初のカフェで提供されたメニューとは?

さて、プロコップではどんなものを提供していたのでしょうか。まず、当然、コーヒー、そして少し後に茶、ココア(チョコレート)が加わります。レモネードなどの清涼飲料、果物の砂糖漬け。アイスクリームとシャーベット、さらにリキュール類。これがメニューの概要です。

料理とワイン、ビールが見当たらないのですが,これはプロコップが属していたカフェ=リモナディエというギルド(同業組合)が扱える飲食物がソフトドリンク、リキュール、砂糖漬け、アイスクリーム類に限定されていたからでした。逆にほかのギルド、ロティスール(ロースト屋)、トレトゥール(煮込んだ肉を提供)、タヴェルヌ(ワイン+簡単な食事)などは、カフェで提供するものは出せない、パリのギルドはそんな仕組みで成り立っていたのです。

コーヒー以外では、香料を駆使したソフトドリンクとリキュール類、そして特にシチリアのカッサータ風の果実とヴァニラを使ったアイスクリームが人気を博したといいます。

コーヒーをはじめとした、アルコールではないメニューは、イギリスのコーヒーハウスと同様、理性的な議論を行える場所として、これまでにないスペースとして利用されました。この「カフェ・プロコップ」の成功を皮切りに、パリの町中にカフェがオープンすることになるのですが、この熱狂のカフェ文化については、また次の記事でご紹介したいと思います。


2024.3.12
CROWD ROASTER