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「モカ」とは? 深い歴史を秘めたコーヒーの銘柄

 
コーヒーの銘柄の中でも「モカ」は特別な存在とされています。

それはモカの栽培地であるイエメンとエチオピアが、アラビカ種コーヒーの起源と深く関わり、最も古くから輸出されてきた銘柄だからです。

モカの名称の由来

 「モカ」はアラビア半島の南西、紅海に面したイエメンにあった港の名前です。かつてはコーヒーの積出港として栄えました。
消費国であるヨーロッパへ運ばれるすべてのコーヒーは、モカ港から紅海を通って輸送されたのです。

しかし、銘柄にその名を残すモカ港は港としての機能は、すでに失われています。近隣の港から輸出されたコーヒーもモカと呼ばれています。

イエメンのコーヒー栽培

 
イエメン・ハラズでのコーヒー生産の様子
 
モカ港から積み出されるコーヒー豆は、当初イエメン産のものでした。
15世紀には、世界唯一のコーヒー栽培地はイエメンだったのです。

アラビカ種の原産地であるエチオピアから持ち込まれたコーヒーは、イスラム教徒の人々の間で広まり、栽培が始まりました。16世紀にはイエメンを支配したオスマン帝国により、この地の特産品であるコーヒー栽培が奨励されたことで生産量も増え、イスラム圏に広く輸出されるようになりました。

16世紀半ばには、オスマン帝国の首都イスタンブールにコーヒーハウスが開店しています。

コーヒーを飲む習慣が地中海の対岸、ヴェネツィアに広まるのが16世紀末。17世紀にはいよいよヨーロッパにコーヒーが広まることになります。

オランダ東インド会社は17世紀前半には紅海の入り口にあるアデン、ついでモカに商館を置き、コーヒーの輸出も開始しました。同時期に、オスマン帝国がイエメンからラシード朝によって駆逐され、モカ港はヨーロッパとの交易が盛んになり、モカはコーヒーの代名詞として知られるようになったのです。

その後のモカ港

現在のアデンの港町
 
18世紀にはいると、コーヒーの栽培がヨーロッパの植民地でも行われるようになりましたが、モカは高級な銘柄としてその地位を保っていました。

しかし、前述のように19世紀半ばには土砂の堆積で港としての機能が失われました。イギリスが植民地化した南イエメンのアデン港、オスマン帝国が再び占領した北イエメンのホデイダ港がイエメンコーヒーの主な輸出港となりましたが、「モカ」の名前はそのまま使われました。

エチオピア産もモカと呼ばれる

エチオピア北東部のコーヒー産地・ハラーでも16世紀ごろにはコーヒー栽培が行われていたようです。西南部の主要な産地では、自生するコーヒーノキからの採集が中心でしたが、ハラーでは古くから栽培されていました。19世紀末にエチオピア帝国がこの地を併合すると、コーヒーの栽培がさらに奨励され、ハラーの名も知られていきました。

こうしたエチオピア産のコーヒーも、紅海を挟んだイエメンの港から輸出されたため、エチオピアの豆もイエメンの豆も、どちらも「モカ」と呼ぶようになったのです。

モカ・ハラーという銘柄は、このハラーで栽培されたモカ(エチオピア産コーヒー)ということになります。
このようにモカの後に産地名を入れた銘柄は、「モカ」のネームバリューを使いながら、その産地を示したものとなっています。

イエメン産は「モカ・マタリ」と呼ばれ、この2つは日本ではいわゆる「特定銘柄」ですが、他にもエチオピアの産地名を入れた、モカ・シダモなども使われることがあります。

喫茶店などで一度は目にしたことがある人も多い、モカの名称。
その名には、コーヒーの深い歴史が刻まれています。

ちなみにモカは、赤ワインや熟したフルーツのような独特の甘い香りがすると言われます。

この秘密はまた改めてお伝えしようと思います。
 

2023.8.16
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